東野圭吾さんの作品が好きです。
文章のリズムが美しく、口の中で響かせるとその日本語造形の優美さに驚かされます。
並べられた日本語はシンプルかつ的確で、するりと脳に馴染むのです。
その巧妙な文章構成のおかげなのか、どのようなストーリーでも後味が濃すぎることはなく
純粋に作品に対する咀嚼を楽しむことができるので、普段活字に触れない人でも読みやすい作家だと思っています。
今日は、以前から気になっていた『人魚の眠る家』を読んでみました。
“死”の問題提起
物語の主役である播磨夫妻は、娘の小学校受験が終わったら離婚すると決めている、いわば”仮面夫婦”。夫妻が娘の受験準備を進めている最中、事件は起きます。
従妹と遊んでいた娘がプールで溺れ、意識不明の重体となったのです。
医師の診断結果は”おそらく脳死”ということでした。
悲しみに打ちひしがれる播磨夫妻。
追い打ちをかけるように、医師は二人にある決断を迫ります――
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背表紙のあらすじを読んだ時から、果たして今回はどんな死体が登場するのか、
あれでもないこれでもないと想像を膨らませていた私。
東野先生の作品ですから、死神のごとく何人かの命を連れていくことは明白です(失礼)
医師が”おそらく脳死”と診断した瞬間、私は脳内で悲鳴を上げました。
「(明確には)死んでない…だと…!?」
はるか上方から見下ろされ、自分の選択を試されているような不意打ちです。
序盤からいきなり、これは生なのか死なのか、難解な問題提起をされるとは…!
ただ、この問題に関して、私としてもすぐに答えを出せませんでした。
というのも、私自身も数年前に免許証を初めて受け取った時から、裏面の臓器提供の記入に悩んでいます。
死亡した後の身体を役立ててほしい気持ちはあるものの、脳死と心肺停止の違いにイメージがわかず
選択するにいたっていないのです。
“脳死”は読者である私達にとっても現実的な問題であり、作品を通して投げかけられたひとつのテーマだと感じました。
作品のテーマ
では、この物語のテーマは”死”なのか?
私は「愛」だと受け取りました。
ある日を境に眠りについた娘と、それを取り巻く家族。
僅かな希望にもすがる親の心も、不憫さから腫れ物のように触れる周囲の想いも、
それぞれが抱える複雑な想いは交錯して、不穏で不気味な空気を放っています。
特に母である薫子の狂心にも見える献身さは、愛なのか執念なのか、読んでいて痛々しくも感じました。
年齢を重ねていけばいくほど感じることですが、母親であろうと男女であろうと、人の愛って歪なんですよね(笑)
必死であればあるほど、自分も周りも見えなくなるし、手作りの想いは案外受け入れてもらえないことも多かったりする。
しかし、気付かないところで愛の証が息づいていることもあったりするという。
序盤から”死”の不気味な色が憑いてまわる作品であるのにも関わらず、不思議と読み終えた後に温かい気持ちになる作品。
誰かに優しくしたくなる、そんな物語でした。
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