先人からの忠告
誰もが知る童話「赤ずきん」の原作が、実は残酷な結末であることをご存知でしょうか。
学生時代、現代文の授業で「赤ずきん」を題材にした評論文が取り上げられました。
私達の記憶に残る本作は、現実ではありえない生還を遂げるものの、思わず笑みがこぼれてしまうような幸せなエンディングを迎えます。
しかし、本来の原作「赤ずきん」においては、狼に食べられた赤ずきんはそのまま帰らぬ人となってしまうのです。
クラシック界を代表する名曲、シューベルト作曲の「ます」の歌詞にも、軽快な音楽からは想像できない描写が綴られています。
ぜひ原詩と原曲を合わせて聞いてみていただきたいのですが、
その内容は、川を軽快に泳ぎまわる鱒を捕えようとした釣り人が、鱒を罠に嵌めて釣り上げてしまうというもの。
軽快な音楽に合わせて進むストーリーはあまりにあっけなく、暗い味をまったく残さないのですが、歌詞の意味を知ったとき、あの明るい世界観がより一層恐怖を引き立てます。
どちらの作品にも共通していること。
それは私達のごく身近に存在する”理不尽な現実”をフィクションの世界で表現している点だと思われます。
『さまよう刃』
東野圭吾作『さまよう刃』。
早くに妻を亡くし、男手一つで育て上げた娘が花火大会に行ったきり帰ってこない。
やがて死体となって引き上げられた娘の死の真相を知った主人公が、復讐を決意するという物語。
導入から殺害の様子が生々しく描写されており、何度も目を背けながら、なんとか読み進めました…!
(後からこの描写の生々しさも作者の計算の内なのかと思うと、さすが、の一言です)
主人公が復讐を決意する背景には、その残虐性はさることながら、残虐かつ非道な犯罪を相応の重さで裁くことができない日本の現状があります。
どう考えても犯人のしたことは情状酌量の余地などないのです。しかし、日本の法律は彼らを裁けない、それなら自分がやるしかない。
登場人物と重なりますが、私も自分が同じ立場であったら報復してやりたいと思ってしまうでしょう。
復讐に突き動かされながらも葛藤する主人公、被害者遺族の無念、それを取り巻く警察と、
さらに世論を利用しようとする第三者も交えた人間模様。
一歩引いて俯瞰すると、各々の矛先が複雑に入り乱れてなんとも滑稽な円が形成されてことに気付くのですが、これは臭い物に蓋をしている我々のリアルな社会構図であり、まさにフィクションの中に浮かび上がる”理不尽な現実”なのです。
本当の犯人は誰?
本作では現状の法制度に対し問題提起している側面もあると思うのですが、実際問題その在り方に疑問を感じるところはありますよね。
絶対的悪行に対し余りにも軽い刑罰が与えられるケースや、判決の背景にビジネス的要因が匂うような場面も見受けられます。
その度に、我々は被害者に同情したり各自の意見を述べたりするわけですが、実際にその意見に信念を持ち行動に直結させる人間はそう多くありません。(当然私もその一人です)
どんなに同情しようとも結局他人事で、自分と周囲の安全だけ担保されていれば良い。
やりきれない理不尽な現実は、そんな他責思考な私達が生み出した負の遺産なのではないのか。
回り回って、被害者の死は我々一人一人にも課せられる十字架なのではないのか。
小説という枠を超え、我々の生き方に問いかける作品。
ぜひ明るい時間に読んでみてください!
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